運転に向かない人

初めての教習所

 2020年、今年は何ができただろうか。そう考えた時、このままではあまりにも内容の薄い年になってしまう。そう思い慌てて教習所へ申し込みをした。というのも周りの大人は大学生のうちにとっておけという。ならばと思い入所受付へ行った。順調に進み、受付の人の一言に安心した。ほとんどの人は

“3ヶ月程で取れますよ〜”

 

の一言に。

しかしこの言葉は全くの嘘である。大嘘である。少なくとも私はほとんどの人には含まれなかった。決してサボっていた訳ではない。しかし受付をしてから4ヶ月が過ぎた。今も免許を手にできていない。そして終わる希望も見えていないのだ。

 それについて、個人的に理由を考えてみた。

 

1、センスがない

 最初にして最終形態のような気がする。

 さて、運転にセンスは必要なのだろうか。否、必要ないだろう。決して断言ができないのだが。

 例えば体育でスポーツをする時、上手い下手はあっても、センスがあるかどうかは分からない。なぜなら大した練習はしていないからだ。そもそも最初から上手くできたら、センスがあるだけであって、それ以外の人は全くないということになる。それでは運転のセンスというのは一体なんなのか。

 教習中に私はよく「君運動できないでしょ」とよく言われる。この質問にいつも悩む。どちらかと言えばできないような気はするが、全くできない訳ではないような気がする。しかしこの悩みを友達に話すと、馬鹿にしているのかと言われる。というのも、野球、テニスについては何年かやっていたしフットサルやバレーボール、ウィンタースポーツ等たまにやる。できるかできないかは誰が判断するのでしょうか。それともこれは屁理屈のような気がするので指導員の質問には「得意ではないですね」といって無難に終わらせる。

 

2、慣れていない

 おそらくほとんどの人はこれにあたる。そう、全てこれなのだ。

 そもそも他の誰かができることは、少なからず誰にでも少しくらいはできるのだ。

 40km/hのストレートが投げられるようになれば、いずれ60km/hのストレートも投げられるようになる。少し投げ方を直し、その動きに慣れることで簡単にレベルアップする。しかし、100km/hから120km/hを投げられるようになるにはもっと慣れなければならない(慣れ以外に必要なことは多いがそれは割愛)。

 また、慣れるまでの時間は人それぞれである。人の倍時間がかかる人もいれば半分でいい人もいる。慣れとはつまり、そういうものだ。

 

3、その他

 センス、慣れ共に安全な人であることが前提であった。しかし本当に運転に向かない人というのは他にいる。それは安全性に劣る考え方を持つ人である。例えば信号を無視する人、無理に割り込む人など、人間的にヤバい人である。気づかなかったというのも問題であるが気をつけようとする人は改善の余地がある。また、慣れによって視野も大きくなる。しかし分かっていて交通ルールを違反する人は改善どころか次も同じことをする。そういった人は運転に向いていない。しかし意外とそういう人は沢山いる。

 

 

 

 

 結論、運転のプロを目指していなければセンスにこだわる必要はない。安全な運転というものは、アマチュアレベルでもできるのだ。必要なのは慣れと安全への絶対的な意識だけである。

 

 

 と人生の大先輩に言われたこと信じつつ、祈るばかりの教習生から早く抜け出したい。